ヒイラギの実をひとつ

読書家にはほど遠い怠け者による、編まれた紙片の備忘録。どなたかのお役に立てれば、もっけの幸い。

表象としての矢川澄子―――鼎談「生涯をかけて開かせた、傷の花」

 読んだことのある矢川澄子の著書は『「父の娘」たち』のみで、小説や詩の作品は未読。自意識の強い書き手なのではないかという思い込みがあって、なかなか食指が動かなかった。

 

故人をめぐる鼎談

 思い込みを支えていたのは、澁澤龍彦の元妻であるという事実と、『「父の娘」たち』の解説で、小説家で文芸評論家の高原英理(女性だと思っていた…)が、彼女の作品にみられる自意識の病について書いてあったことだ。

 そんな未読の状態だが、「ユリイカ」矢川澄子が特集されている号を取り寄せてみた。まだすべてに目を通せていないが、なかでも「生涯をかけて開かせた、傷の花」と題された鼎談が面白かった。話者は松山俊太郎・池田香代子佐藤亜紀である。

 ある人をテーマとする鼎談は、とくに故人の場合には、仲間内での褒め合戦だけになってしまうきらいがある気がして、あまり真剣に読むことがない。しかし、この鼎談はスリリングでエキサイティングな内容と流れに引き込まれてしまった。

 

松山俊太郎と佐藤亜紀

 まずは、かねてから交流のあった松山俊太郎が、矢川の実生活や人となりについて批判的に語りはじめる。すると佐藤亜紀が怒りをあらわにし、「どうしてテクストを作者の実生活から切り離して読むことができないのか」と不愉快そうに述べる。前半部分だけでも、読んでいるコチラまでハラハラさせられてしまった。

 矢川は『「父の娘」たち』のなかで佐藤の名前を一度だけ出している。やはり、作者とテクストを同一視することの問題について論じられている部分である。引用されたのは佐藤の下記の記述。

読者は書き手と「作者」を同一人物だと決め込んで納得し、書き手は、無残にも、実生活で「作者」を演じようと努めて身を滅ぼしたのである。もう沢山だ

このときの書き手が、奇しくも矢川の没後、作者と書かれたテクストについての議論を再開するわけである。

 

松山俊太郎の洞察

 しかし、松山が矢川の人となりをバッサバッサと切るような語り口は清々しく、私は胸のすく思いがしてしまった。作品を読んでもいないくせにたいそう生意気だが、矢川には、いわく言い難く、そしてなんとか言葉にしてしまうと痛いところを思わず突いてしまいそうな、弱さも持った女性であるような気がしていたからだ。

 澁澤との離婚時、財産分与がされないことに抗議する段になって、あるときには「澁澤のために惜しむのよ」と言ったり、あるときには「自分の二親に孝行したい」と言ったり。信用に足る言葉を発しているとは思えない態度をとっていたようだ。また松山は、矢川に女性としての魅力を感じられないとし、次のように述べる。

自分が女として劣等感があるから生理的にも女性なんだということを誇張しているんじゃないかと裏目読みをしたくなるようなところが少しあるんですね。

 男性なのに鋭すぎる、これには仰天した。

 ただ、男性だからこそ松山には見えていなかった部分もあるのだろう。「佐藤さんが言われたようなものすごい深い傷が矢川さんにあるっていうことは、私は今日の今日まで、お二人のお話を聞くまでは感じたことがなかった」と話している。矢川のような女性の、一見誠実でも潔くもない態度の裏に、何かしらの傷があると考えるのは当然のことのように思うのだが、松山はそれを想像もしなかったようだ。

 

矢川澄子という女性性

 佐藤が批判したように、作者の実生活からテクストを切り離して鑑賞することが大切であると私も思う。故人を貶めることも控えるべきなのであろう。しかしながら私は、松山が矢川をこき下ろすために上記の発言をしていたようには思えない。「矢川さんはこう言った、ああ言った。だからいやな女だ」と思っていたのではなく、矢川澄子を女性性の記号として論じていたのではないかと思うのだ。

 多くの女性たちが共有している卑屈さ、過剰な自意識、愛の渇望といったものを、矢川はその人となりだけでなく、作品のあり方でも体現している。表象としての矢川澄子を、松山は語りたかったのではなかったか。矢川を語ることは、女性を語ることになるのではないだろうか。それには作品だけでは片手落ちであり、実生活も思想も人となりもすべて動員する必要があったように思えるのだ。

 

子無し主義

 さて、同じ特集内のなかには、映画評論家の松田政男による寄稿が収められている。タイトルは「『子無し主義』からの審問」。矢川が澁澤との子どもを中絶したことについて触れ、子どもを持たない生き方について、自身の来し方をつまびらかに論じている。このなかで次の松田の発言が印象に残った。

私は私と澁澤龍彦との共通項を「子供をつくらない」一点にのみ求めて、その営為(反営為!)をば「決意のレベルから思想のレベルにまでたかめる」べく悪戦苦闘したことがあった。

 澁澤は『少女コレクション序説』のなかで、なぜ子どもを持ちたくないかを説明している。これについては別の稿で取り上げたい。

 ともかくも、矢川澄子『おにいちゃん』、鼎談「架空の庭のおにいちゃん」、松田政男『風景の死滅』を読んでみたいところだ。そして願わくば、鼎談の話者のひとりでもあった、池田香代子氏にも考えをうかがってみたいものだ。